乳がんの術後照射は全員必要?

乳がん術後の放射線治療、省略できる時代が来るのか?
これまでの乳がん治療では、手術(乳房温存術や全摘)のあとに放射線治療(術後照射)を行うことが標準的な治療とされてきました。特に乳房温存術を選択した場合、局所再発のリスクを減らす目的で放射線治療が強く推奨されてきました。
しかし近年、いくつかの重要な臨床試験の結果から、「一部の患者においては放射線治療を省略しても予後が変わらない可能性がある」というエビデンスが登場し、世界中の専門家の間で注目を集めています。
高齢者・低リスク乳がんにおける省略の議論
放射線治療省略の議論の中心にあるのが、「高齢の早期乳がん患者」です。がんの悪性度が低く、ホルモン受容体陽性(ER+)、HER2陰性、リンパ節転移なしという比較的予後の良いタイプに限定されます。
このような患者に対して、ホルモン療法のみで十分なのではないかという仮説のもと、複数の臨床試験が行われました。
省略可能性を示した有名な臨床試験
- CALGB 9343試験(JAMA, 2004)
70歳以上の早期乳がん患者(T1N0, ER+)において、乳房温存術後にホルモン療法(タモキシフェン)を行ったうえで、放射線治療の有無による差を比較しました。 結果として、10年時点で局所再発率は放射線ありで2%、放射線なしで10%と差はあったものの、全生存率には有意差がなかったと報告されています。 → CALGB 9343試験(JAMA掲載)はこちら
- PRIME II試験(Lancet Oncology, 2015)
65歳以上、リンパ節転移陰性、ER陽性の女性対象で、同様にホルモン療法のみ vs ホルモン療法+放射線を比較。5年後の局所再発率は放射線ありで1.3%、放射線なしで4.1%でしたが、全生存率はほぼ同じ(放射線あり 93.9%、なし 93.8%)でした。 → PRIME II試験(Lancet Oncology)はこちら
- LUMINA試験(ASCO 2022発表)
より厳密に「低リスク」な患者を選別し、Ki-67<13.25%、ER/PR陽性、HER2陰性という分子プロファイルで、術後ホルモン療法のみで放射線を省略した試験です。 中間結果では再発率は非常に低く、将来的に「分子診断による放射線治療の選別」が可能になる兆しと見られています。
なぜ放射線治療を省略したいのか?
患者にとって放射線治療は、以下のような負担があります:
- 通院回数が多い(通常16~25回前後)
- 皮膚炎、乳房の硬化などの副作用
- 高齢者や地方在住者にとっては移動自体が大きな負担
こうした点から、「再発のリスクが非常に低い患者には放射線治療を省略してもよいのではないか」という視点が近年強くなってきています。
ただし注意点も:まだ「標準治療」ではない
これらの試験結果は非常に有望ですが、すべての医療機関で日常的に「放射線を省略する治療」が推奨されているわけではありません。
理由は以下の通りです:
- 日本では放射線省略の診療ガイドラインがまだ未整備
- 追跡期間が10年に満たない研究が多く、長期的な安全性が不明
- 患者ごとのリスク評価(分子プロファイルや病理)には専門的知識が必要
そのため、「医師と十分に相談した上で、あくまで治験や臨床研究の一環として」選択されるのが現状です。
まとめ:知識として知っておく価値がある新しい潮流
乳がん術後の放射線治療は、すべての患者に必須とは言えない時代が近づいています。とくに高齢で早期の低リスク乳がん患者にとって、放射線を省略しても再発や死亡リスクに大きな差がないという結果が出てきています。
もちろん、誰にでも当てはまる話ではなく、個々の腫瘍特性に基づいた慎重な判断が必要です。しかし、今後のがん医療において「過剰な治療を避ける」という流れが確実に強まっていることは、患者・医療者双方にとって大切な視点となるでしょう。
最後に、今回紹介した論文リンクをあらためてまとめておきます: